昭和60年地図(大阪飛田)(昭和60年~昭和64年の写真)
昭和60年地図(大阪飛田)
天王寺から天下茶屋方面に行っていた南海電車ですが、本当に怪しい電車で、乗客が乗っている光景はなかなか見かけませんでしたね。当時、天王寺駅の一番端に南海電車のプラットフォームがありましたが、とにかく廃墟のようなホームで活気が無く、不気味でした。
そんな線路も廃止になり、今は、その下を地下鉄が走っていますが、不思議なことに、途中に駅はありません。治安上の問題で、駅を作ることを断念したのでしょうかね。確かに、日本で唯一暴動が起きたエリアですから、仕方ないですかね。それにしても、天王寺から阿倍野にかけて、再開発はされましたが、やはり、飛田は、開発は一切はいらなかったようですね。道路にも、壁があり、完全に隔離されていますね。それにしても、いわゆる昔のアカセンというものがいまだに、残っていることが不思議でなりません。風営法などの法律などの解釈は、「飲食店」なのでしょうかね?、飛田のほかにも松島など何カ所か未だにあるようですが、どういう法解釈なのでしょうかね?
電電公社職員地図より
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